ひとり

夢中で走ってきた昨日までは平気だった、一人だということ。
平気というより、ちょうどよかったという感じだった。
忙しい仕事と繁雑な日々の出来事で手一杯で、決まった誰かと定期的に会ったりするのが、楽しみというよりも義務になりそうな毎日だったから、そんな事で疲れるよりは、ひとりがちょうどよかった。
時々、ほんとうに時々落ち込んだときなんかに、一緒に過ごしてくれる恋人未満の友人が、とても居心地よかった。

それが最近、寄り添う誰かを求める気持ちが強くなってきている気がする。
どんなに頑張っても、このまま一生一人なんじゃと思うと、一瞬だけだけれど、もう何もかも無意味に思えて、どうしようもない孤独感に堪えられず叫びだしそうになる。

仕事は順調だし、大切な友だちも家族も居て、自由に生きているのに、もしかしたら贅沢な希望と言われるかもしれないけれど、、、
ふと隣を見れば優しく微笑む愛しい人が居るという幸せに憧れる。
とっても素敵だなと思っても既婚者だったり、一緒にいてとても居心地がいいなと感じても10歳以上も年下だったり、、、
恋に進むことさえできない日々に、時折虚しさを覚えてしまうのは避けられない。
今まで気ままに過ごしてきておいて、今更急に愛が欲しいなんて勝手すぎて、きっと神様がお仕置きしているかもしれない。

一人の時間

私の癒しのひとつに週末海の見えるカフェで過ごす時間がある。
海沿いの丘陵地から水平線まで広がる海をただぼんやりと眺めて過ごす時間はなんとも言えず時に愛しささえ感じる時間だ。
海までの坂道沿いの家にはゆらゆら洗濯物が揺れていたり、その先には赤い小さな車がいつも停まっていて、どこかから聞こえてくる子どもたちが駆け回る足音や呼び掛ける両親の声が、柔らかな陽射しの下で幸せの形を描いている。

家々のその先に広々と静かに広がる海は、何を語りかけることもなく昨日を問いただすこともない。
時折緩やかに吹きすぎる風は、そっと心の中にある重い何かを綺麗に優しく連れ去ってくれる。

週末のせいぜい二時間くらいのこの時間が、それ以外の忙しく繁雑な日々を支えている。

海が好き
どうしてかと聞かれても、理由なんて知らない
ただ、どうしようもなく好きで
いつかは、海の傍に住みたいと思う

バルコニーから海が見えて
波の音が聞こえて
週末には砂浜を歩いたり、寝転んだり
そんな日常がいつか叶いますように

おもうこと

耳を澄ませば
束の間の静寂のあと、ゆっくりと聞こえてくる
例えば鳥の声
電線の上で何を歌うのか、どんな相談をしているのか
例えば、子どもたちの笑い声
嬉しそうに楽しそうに、どこかへと駆けてゆく
小さな補助輪付きの自転車の音
はしゃぐ子どもと支えようとする父の追いかけっこはどこまで行ったろうか
揺れる洗濯物
吹きすぎる風の音は静かで
全身に陽の光を浴びて気持ち良さそうに伸びる木々が時折伴奏を奏でる

日常のありふれた風景が
どうしようもなく心をとらえるのはどうしてだろう