風の音

いつものカフェで、いつものハーブティ。
暫くはぼんやりしていて、波の音に気づく。
いつもは、聞こえない波の音。
今日は、大判ストールが必要なくらいに少し冷たい風が強く吹いている。
水面を見れば、風に煽られるように小さな白波が幾つも幾つも打ち寄せていた。

神様が意地悪なのか、私が愚かなのか

10代は、ただただ好きで苦しくて
想うだけで胸がいっぱいになって、存在を感じるだけで身体中に心臓の鼓動が鳴り響いて、目が合えばそれだけで何日も何日も幸せな気持ちで満たされていた。
恋しているときは、恋が私のすべてだった。

20代は、想うより想われて、優しい人が多かったように思う。大切にされて、気遣われて守られて、夢見心地のままに日々は過ぎていた。
いつも誰かが傍にいて、寂しさをまだ知らないまま、人並みに結婚した。

30代になると、愛と打算と孤独が混ざり合い始めて、それでもまだ想われる優しさの中で生かされていた。
ただ、単調に過ぎる日々が私の存在を消していくようで、底無し沼に飲み込まれるような不安が広がり始めていた。
そうして、もがきながら、生きている実感を求めて、気づいたら一人になっていた。

40代、懸命に生きてきた日々に一区切りがつこうとしているこのとき、このまま一人で生き続けることを辛く感じている。
心を満たしあえる誰かと、残りの日々を大切に生きてゆきたい、そう切実に願うようになった。
けれども、いま、出会うということ、心を通わせるということが、実はとても奇跡のようなことだったのだと実感している。
素敵だなと感じても、どんなに心がときめいても、何かしらの障害があって踏み出せないことが多い。
既婚者だったり、一回り以上も年下だったり……。
想ってくれている人には、心が動かないのもどうしようもない。
神様の意地悪で運命がすれ違っているのか、私が愚かで大切なことを見落としたりチャンスを逃しているのか……。

このままもう誰にも愛されないまま、年老いていくのかと感じるとき、絶望に似た目眩に襲われる。
一緒に笑い合えて、支え合えるそんな誰かに、もうすぐ出会えると信じたい。

小説

突然の電話だった。
もう来ないはずの電話。
待たないことを決めてから一月ほど経っていただろうか。
驚きと戸惑いと、沸き上がる切なさで、携帯をもつ手が震える。出ないことなどできようもなかった。
「……はい。」
「よかった、出てくれて。会いたいんだ」
「……」
胸が苦しくて、体が芯から震えてきて、声が出なかった。
とめどなく溢れてくる感情と冷静になろうとする頭とが体の中で激しくぶつかって、苦しさで目眩がする。
「……無理なの分かってるでしょう」
搾り出しすのがやっとの声だったかもしれない。
「会えないのは私じゃなくて、あなたなんだよ……」語尾が震えてこれ以上は話せない。
涙が込み上げてくる。助けて!
「もう、いいんだ。そんなこと関係ないんだよ。
ただ会いたいんだ。」
泣き声を堪えるのがやっとで、何も答えられない。
頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしていいのかわからない。
「何があっても守るから、全部ちゃんとするから信じて。今すぐ会おう。こっちを見て。」
えっ?こっち?
鼓動が激しくなる。街の喧騒が遠ざかり、気が遠くなるようで倒れそうになる。
辺りを見回そうとして足元がよろめく。
その時、懐かしい香りに抱き締められた。
そうしてこの瞬間に、私の中の何かが折れてしまったのを感じた。
「会いたかった」
そう言って強く抱き締めるあなたを、もう突き放すことはできなかった。
「間違ってるってわかってる。誰かを傷つけるってことも。でも、君とは離れられないよ。
お願いだから側にいて。必ず守るから。
そうして、全てちゃんとするから。」
何も言えなかった。
ただただ彼のシャツを強く握り締めて、微かに頷くのが精一杯だった。

海と空の境界線が交ざるとき

明日から暫くは雨の予報を聞いて
今日のうちに春の陽気と海を堪能しておこうといつものカフェに向かう
心の栄養補給といったところだろうか
朝からの眩しすぎるくらいの太陽や汗ばむくらいの気温を、走らせる車の中で充分に感じながら海につく頃、思ったより少し早く空がぐずり始めた
東の空がまだ陽気な歌を歌い続けている傍らで、西にはゆっくりとライトグレーの雲が生まれている
海と空の境界線は既に曖昧で、風にも冷たさが混ざり始めた
それでもまだ、お店のバルコニーには柔らかに陽は降り注いでいてほっとする。
徒然に意識を漂わせながら、ぼんやりと見るともなしに景色に目をやる
できる限り、昨日のことも明日のことも考えずに、いま、海が綺麗だなとか鳥が気持ち良さそうだなとか、そんなことだけで頭も心も埋めていく
心が軽くなる
間に合ってよかった

いつものことだけれど、いつも少し違って大切

広く広く晴れ渡る空
雲があってもなくても
ぼかぽかと暖かく微睡み気味の街を
ゆっくりと移動する
風も今日は心地よく花の咲くのを誘うように
優雅に吹きすぎてゆく
こんな日は、陽当たりのいいリビングで寛ぐのか
海沿いのカフェまで行こうか
いつも、迷う

君は、お寺を巡るのが好きだと言う
心がしんとなって、頭の中が空っぽになるような
そう、無になる感覚が好きだと

わかる気がする
私は海を見ていると、もう何がなんだかわからないくらいに絡み合った言葉や想いが
するするとゆっくりほどけていくのを感じる
そうして暫くすると、頭の中も心の中もしんと静まり返って
なんだかほっとする
そうするともう何もなくなってしまう
溢れる言葉も沸き上がる感情も何もなく
あとはもうただぼんやりと海を見つめるだけ

その時に在るのは、ただ海と空と雲と
時々の風だけ
ただそこに在るという力強さに守られている時間だけ
いつか一緒にそんな時間を過してみたらどんな風に感じるのだろう

君といる時間は、いつもあっという間に過ぎるね
話すことなんてたわいもなくありふれたことばかり
いつも、映画やドラマや休みの日に行った場所のことと時々恋のはなし
何が面白いのか、そんなに楽しいのか
毎回たくさん話してたくさん笑って
ほんとうにあっという間に時間が流れて行くね
最近ね、もっと話したいなって一緒に休みの日を過ごせたらいいなって思うようになってきたんだ
君は、どう思ってるのかな